「うーん・・・。困った!」今、困っているのは、新参者ではない。困っている
のは、作者の方だった。潜水艦とお色気さんを種に持ちながら新参者が今 後出していく結果は散々たるものだった。でも当の本人はその場、その場 である程度は頑張っていたらしく、また楽しくもあり苦しくもあったらしい。だ が彼は、間違いなく千載一遇のチャンスを逃した。人生においてチャンスは そう何度もあるものではない。それは今後の小説の続きを読めば分かって 頂けると思う。(ちゃんと書き続けられるかどうかは自信がないけど・・・)ら んちゅうの仔引きは作物の収穫と似ている。種の管理から始まり春に種を まき、そして秋の収穫までの間、ひと時も休まず世話をしなくてはならな い。秋に豊作であれば、一年間の苦労も報われるのだが・・・。
新参者は、朝起きると卵をゆでている。ブラインシュリンプなるものが稚魚
の餌として普及するまでの数年間、新参者の稚魚の餌はかたゆで卵の黄 身であった。今後の数年間はゴールデンウィークになるとこれが彼の日課 になっていた。一方、潜水艦やお色気さん達は何故か病院の屋根の上で はなく、マンションのベランダで小さな船の中を元気に泳いでいた。苦しいイ ンターン時代、そして開業。新興住宅街ならともかく成熟しきった町で開業 する事の大変さを新参者は嫌というほど味わった。診療時間内は当然待機 しているが患畜はさほど来てはくれない。何故なら掛かりつけの先生をそ れぞれ持っていたからだ。だが夜中には平気で叩き起こされる。その急患 (本当に急患?)を丁寧に拾うしか彼の収入源は無かった。石の上にも5年 の人には言えない苦労があった。それを経てようやく彼にも少しは人間らし い暮らしが訪れようとしていた。そんな彼の過去などこの際何の関係もない が、ついでに一つだけ彼の重要な事を話しておこう。それが、彼のらんちゅ う人生にずっと悪影響を及ぼしたからだ。彼は品評会の後に高校の同窓会 に出席した。そこで久しぶりに会ったある元女子部員からバドミントンクラブ の話を聞かされた。ずっと以前に聞いていた話だと練習日は平日であった 筈なのに今は日曜日の午前中が練習日だと言う。日曜
日なら何とか参加できるかも?そう、彼は5年間の封印を解く決心をした。
余りにも不健康な生活からの脱却の為でもあった。早速彼はラケットを買い に走った。ラケットも昔に比べて随分と様変わりをしていた。かつての黄金 の右手(注:彼の勝手な思い込み)がラケットを握る。久しぶりの感触だ。数 年前なら彼はラケットを軽く振るだけで自分にあったラケットを間違いなく選 んでいた。久しぶりに軽く振ってみた。その瞬間にビシッと音を立てて彼の 筋肉は裂けた。その結果、彼のバドミントン界への復帰は一ヶ月遅れた。 ここまで読むと読者はいらいらしている事だろう。らんちゅうの話は何処へ 行った!でも彼のらんちゅう飼育の上達を遅らせたのは紛れも無くバドミン トンであった。新参者は日曜日は平日よりも早く始まる。まず病院へ行き居 候達(貰い手の無い動物達)や入院患者の世話をする。そして通院が必要 な患者さんの予約診療を行なってからバドミントンの練習に出かける。そし て練習の場での彼の姿はというとシャトルを追いかける感覚だけは昔と変 わらないが、そこに肉体はついて行かずに空振りやミスショットを繰り返し ていた。そして顔を真っ赤にして肩で息をしていた。その姿を他の部員たち は見ていて「この人、すぐにバドミントンを辞めるな。」と思っていたらしい。 そして新参者は練習を終えた午後は決まって熱を出して寝込んでいた。一 方彼が昨年入会した会では日曜日毎にたくさんの会
員さんが会長さんの飼育場に集まっていた。そして例年通り皆でらんちゅう
の冬眠明けを向かえ池の掃除をしていた。会長さんの飼育場は会長さん のお父様が所有する賃貸マンションの屋上にあった。二つのビニールハウ スの中には大きな親魚・産卵用のたたき池が数個あり、ハウス外のたたき 池を合わせると二十近くあった。それ以外でも必要に応じて何十個でも簡 易な船を置くスペースがあった。会員さん達の皆が皆、仔引き出来る程の 飼育スペースを持っている筈が無く、会長さんの飼育場で皆が協力して四 月の中旬に10腹以上の仔を引いていた。初期飼料はミジンコでそれを直接 稚魚池に入れるのではなく、細かい網にミジンコを入れて池のはしに吊るし ていた。どうやらミジンコから産まれた子供がネット越しに稚魚池に入り餌 になるらしい。孵化から二週間程たった日曜日になると皆で稚魚を集め大 選別大会が始まる。ここで会員さん達は選別の技術を教わってきたのであ る。一回目の選別でかなりの数を減らす。でないと会長さん一人では平日 の池の水換えなどとても出来ない。その後も会員さん達は日曜日毎に集ま って池の掃除をし、不良魚を撥ねていった。そして五月の下旬になると全 会員を対象に稚魚の分配を格安で行なう。ここからが会長さんは特に朝が 早くなる。水温もあがり青仔の餌食いも活発になりすぐに水がいたむ。会員 さん達が手伝いに来る一週間も水が持たないのである。会長さんは毎朝 全ての池の水を約三分の二程度換えていた。信じられない事だが本当で ある。そして常に池の水の色は本当に薄い黄緑色であった。会員さん達は 平日に何とか自分のらんちゅうの水換えを済ませ、日曜日毎に集まって会 長さんの池の掃除を行なっていた。ある会員さんが聞く「O会長さん、この 魚を気に入ったのですが貰って帰って良いですか?」会長さんは決して普 段手伝ってくれている会員さん達の要求を拒む事は無かった。会員さん達 がいくら良いら
んちゅうを持ち帰っても残ったらんちゅうをしっかりと仕上げていた。らんち
ゅうの世話が終わるとらんちゅう談義に花を咲かせ、会長さんの飼育場は みんなの修行の場であり憩いの場であった。一方、新参者はと言うとそん な事が行なわれているなどとは露とも知らずにいた。らんちゅう秘伝を愛読 書として独学で仔引きをしていた。そして潜水艦とお色気さんの愛の結晶 の三腹の稚魚達の為にせっせせっせと卵をゆがいていた。仔引きの初心 者が初年度に三腹も仔引きする事自体、新参者がずぶの素人である紛れ も無い証明であった。
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